もう少し知っててヨ 【ジャンヌ・ダルク】 |
主席客員論説委員就任特別寄稿 Jeanne d'Arc(1412~1431) フランスの愛国少女。ロレーヌ地方とシャンパーニュ地方の間にあるドムレミとい う小さな村の農家に生まれる。幼少期より信心深かったという。 イギリスとフランスのいつ終わるともしれない戦争「百年戦争」の後半、イギリス の侵攻にフランス王国は危機的状況に陥る。自暴自棄と無為の生活を送るシャルル7 世を励まし、兵士達を勇気づけたのが、神の少女ジャンヌ・ダルクである。 イギリス軍によるオルレアンの包囲戦を勝ちに導いた(1429)ジャンヌ・ダルクは 「オルレアンの乙女」と呼ばれるようになる。その後シャルルは正式に王となり、ジャ ンヌを疎んじるようになる。そして魔女(異端)裁判、焚殺(ふんさつ)となり、そ の短い生涯を終える。 |
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1. | なんで少女が軍隊の指揮を執れたの? |
神の声を聞いたというその強い信仰への情熱と慣行を無視した戦闘指揮に兵士 達が刺激を受けたそうな。 | |
2. | なんでシャルルに疎まれたの? |
シャルルの戴冠式にも出席したジャンヌが疎まれたのは、シャルルの対英政策 にジャンヌたち若手将官の対英強攻策とシャルルの意見が食い違ったから(古い 頭はいつの時代も同じか)。ジャンヌが捕まってもシャルルは何もしなかったそうな。 | |
3. | なんで魔女(異端)裁判にかけられたの? |
これはもう教会の権威を守ること以外には何もなかったみたい。「一信者が聖 職者の仲介なしに神の声を聞くとは何事だ」というのが協会側の言い分。ジャン ヌは強い信仰心を持つ少女「だって本当にフランスを救えって聞いたんだもん」 といって譲らなかったから。 | |
4. | なんでジャンヌは焚殺されたの? |
15~16世紀のヨーロッパでは、魔女狩り、魔女裁判、魔女容疑者への拷問は一 大産業と化していたそうな。「魔女の槌(つち)」という協会側からみた魔女信 仰の調査をまとめた本がだされ、ルネサンス期の活版印刷にのせて大量に同種の 本が出版されるようになったんだって。その本の中に「魔女は火刑に処す」こと が記されていたそうだ。 | |
5. | 魔女(異端)のジャンヌが聖女になったの? |
実は1455年裁判のやり直しがあったんだ。ここで異端の汚名はすすがれたらし い。でもこの後ジャンヌはまた忘れられた存在になっていった。ジャンヌを愛国 者に仕立てたのは、ナポレオン。自分の行為をあのジャンヌ・ダルクと重ねるこ とで正当化してったらしいんだ。そういえば、ジャンヌは1920年に聖女に列せら れるわけだけど、ローマ教皇庁はルーアンでの審決(ジャンヌを異端者とした裁 判)を取り消してないんだって。あれえ、ジャンヌは異端者にして聖女だって。 | |
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尚、「ジャンヌ・ダルクの死」といちご狩りと本原稿は、今春挙行されたひも探春 の味覚探しの折りに刊行された「日刊いちご狩り」に掲載されたものに著者自らの手で加筆訂正されたものです。 |