「音楽・教育・表現」 | 平成13年2月1日更新 |
音楽は様々な表情があって、時には非常にシリアスなものでもありますが、初めて音楽に触れる子どもたちの入り口は純粋な楽しさだと思います。音楽経験の未熟な子供に教えるのは、楽しさだけで十分ではないか、と思っています。 しかし楽しさを教えることが難しいのです。 学校での音楽の活動には、コーラス、吹奏楽、マーチング、ジャズなど、さまざまなジャンルがありますが、ジャンルの違いは大きな問題ではないと思います。いずれも音楽の楽しさを教える活動であるという点で共通しています。 では、いかにして音楽の楽しさを教えるか? 肝心なのは「指導者自身が『音楽って楽しいんだよ』と教えられるほどに楽しんでいるか」ということだ、と、私は思います。即ち指導者に求められる最も根本的な資質とは、「音楽を楽しんでいる」ことなのではないでしょうか。上にジャンルに関係なく、と書きましたが、これは音楽に留らず、国語、算数、英語、体育、その他何でも同じではないかと思います。それぞれの先生が、それぞれの学問や活動の楽しさを教えることができれば、子どもたちに生き生きと学ぶ気持ちが生えるものと思います。実はここに、今の教育の問題があるように、私は感じています。 さて、音楽に戻ります。 音楽は表現ですから伝わらなくては意味がありません。指導者が子どもに音楽を教え、演奏させるときに、2つ、伝わらなくてはならないことがあります。 A. 指導者から子どもへ、音楽の楽しさが伝わらなくてはならない。 B. 子どもから聴いている人に、音楽の楽しさが伝わらなくてはならない。 つまり、指導者→子ども→聴く人、と「楽しさ」が感染していかないと、指導は成果 が上がったことになりません。 うまく伝えるためにはテクニック(方法)が要ります。 「指導者→子ども」では教授法が必要でしょう。 「子ども→聴く人」では演奏法が必要でしょう。 しかし、そういったテクニックだけでは、何の表現にもなりません。伝える中身がなくては何も伝わらない、ということを忘れてはいけません。音を出すこと、音を区切ること、音を繋げること、それらがいくらスムーズにできても、それだけでは表現として成り立ちません。 前提になるのは、「表現したい何か」です。 「表現したい何か」などと書くと難しいことが求められると感じてしまうかも知れませんが、子どもにとってのそれは「楽しさ」で十分いいと思うのです。 指導者の端くれとして、ステージから思いきり楽しさが伝わってくるような、そういう演奏をさせてみたいものです。そのために自分自身が、もっと音楽を楽しみたい、と思います。 |